~株式会社エフスタイル軽井沢。パイン家具、ソファ、ホーロー、住宅ローンソリューションズのご提案~

軽井沢日記TOP » 8月 2008
2008/8/23 土曜日 at 10:53:58

「第三世代の住問題」とタイトルにしたのは、以下の理由からです。学校を卒業するまでが第一の世代、サラリーマン生活を卒業するまでが第二、その後の人生が第三ステージと捉えているからです。敢えて第三世代としたのは、団塊世代と呼ぶには対象が限られ的確でない、老後と呼ぶには言葉の響きに躍動感なく適当でない等からこう呼ぶことにしました。

第三世代の住問題は、主宰には大きなテーマの一つです。私が第三世代に入って一年が経ちます。改めてこのテーマを考えてみたいと思います。不定期シリーズですが今後とも取り上げて参ります。第1回目はケーススタディわたくしの場合です。

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 人生の第三世代の拠点を軽井沢した理由は、こちらに既に書きました。舌足らずな部分があったので補足的に記すことからシリーズを始めることにします。

最近、第三世代の住問題に関する様々な考えを耳にし目にします。それは価値観が多様化し様々なライフスタイルが表現されるようになってきたから、と私は受け止めています。こうした生き方を支えていることの一つに、長寿化があると思います。人生に対する挑戦年齢がどんどんと先送り(=高齢化)されてきているということです。

言い換えれば、イキイキと人生を楽しむためには社会と一体化した中で自分の存在感を確かめながら第三世代を生きていきたいとの思いが強くなってきているからではないでしょうか。老後という言葉の持つ一種人生の終末期的な響き、社会の裾野に追いやられた響きに対する声が大きくなってきていると受け止めなければならないと思っています。
 
 私たちは、現役終了後の生活拠点として都内23区にマンションを確保しています。都心近くにありながら庭先が四季を楽しめる大きな樹木に覆われ、他人の眼を全く気にすることなく暮らせるという意味では贅沢過ぎるところです。年寄り二人が暮らすには十分な広さと思っています。交通の利便性はよく、周囲の住環境は、静かで申し分ありません。不満を言ったら罰が当たる、そう思ったりさえしています。

唯一の不満は、固定資産税が高いことです。至便性とコストは比例関係にあるのでしょうか。そのコストは僅かな年金収入の相当部分を占めそうな水準です。不満のない現在の住処は、非生産的な第三の人生を送るには勿体ない、と考えるようにもなったのです。第三世代が都市部に住むのは高コスト構造になり、文化的な最低限の生活水準を維持するには居心地が良いとは言えない、と思うようになったのです。衣食住のうち住コストが高いところは食コストも得てして高くつく、と言わざるを得ないようです。もっと住生活コストを安くしたい、これからの第三世代人生を楽しむベターな場所ということで探し始め、辿り着いたのが「軽井沢・追分」だったのです(なぜ軽井沢・追分だったのかはこちら)。

追分にはもちろん定住可能なインフラを整備しました。定住するにあたってのすべての条件が未だ整いませんので今は週日東京、週末追分の生活です。いずれ定住の時が来た時には都心のマンションの取扱いが問題になります。固定資産税が高い物件は収益捻出可能物件と考えますので、賃貸物件化なりが可能でしょうし、場合によっては売却するなりが可能と睨んでいます。急いで決める必要はないので状況を冷静に見て決めていこうと考えています。

今の生活を始めて僅か1年に過ぎません。追分では予想を超えて周囲の人たちとの新たなご近所付き合いも始まりました。サラリーマン時代では考えられなかった人たちとのワクワクするような出会いでもあります。お付き合いしている皆さんに共通して言えることは、人生をとても楽しんでいらっしゃる、ということです。私たちの人生がこの先どれ位あるのか分かりませんが、他人の手を煩わせることなく住めて、思考能力、判断能力に問題ないと自覚できるうちは年齢に関係なく溌剌と人生に挑戦し続けたいと考え、その舞台を追分に設定したのです。どうやらそこには似たような考えを持った人々が自然に集まってきていたのです。


2008/8/22 金曜日 at 18:39:03

今年1-6月の住宅ローンの新聞広告については、先日取り上げてレポートしたところです。7月から8月にかけて、各社とも預金獲得のためにそのスペースが割かれ申し合わせたかのように見事に住宅ローンの広告を目にする機会はありませんでした。不冴えな不動産市場事情もこれに拍車を掛けたのだと思います。

そんな中久しぶりに住宅ローンの新聞広告が目に留まりました。うっかりすると見過ごしてしまいそうなカラー刷りの写真が大きくスペースを埋めた広告です。写真は3枚並べられていました。一枚は豪邸玄関先の垣根を庭師が剪定をしている写真、一枚は山手イタリア山庭園と書かれた道標識のアップ、一枚は整然と街路樹の茂った歩道の先にそびえたつ高層マンションの写真。これだけではとっさにこれが住宅ローンの広告とは分かりません。広告の活字にしては控えめな大きさでスペースの端のほうに、
―あなたの銀行は住宅購入のために1億円以上融資してくれますか?
―「HSBCスマート住宅ローン」(預金連動型)
と書かれているのを見てやっとこれが住宅ローンの広告であることに気付きます。写真にも小さくDen-En-Chofu、Yokohama Yamate、Odaibaと撮影場所が記されていました。
金融資産1000万円以上の富裕層を顧客対象とした金融サービスHSBCプレミアの一つの品揃えとしての住宅ローンの広告だったのです。HSBCとは、元々香港上海銀行(The Hongkong Shanghai Banking Corporation Limited.)から来ています。1997年に香港が中国返還されるのを政治的リスクと捉え、本社をイギリス本国に移転すべく持ち株会社HSBCホールディングスを設立。その名残としてHSBCが生かされているのです。従って、現在の香港上海銀行は同グループの傘下の一つに位置付けられ、且つアジア太平洋地域における中核子会社となったのです。 話を本論に戻すと:-
HSBCスマート住宅ローン(預金連動型)のウリは、預金連動・元金均等返済方式・融資金額に上限なし・保証料不要の4点です。

預金連動はすでに何行か手掛けているお馴染みの仕組みです。元金均等のみは、元利均等返済が主流の中にあって顧客の選択肢を縛るもののように思われますが、富裕層が相手であること、銀行から見ると元利均等返済より回収が早まるので債権管理上ベターと言えます。融資金額に上限なしではありますが、担保評価額の90%以内との縛りがあり、しかも担保評価は当行が決めるものであり、特段目を引くような内容ではありません。保証料不要は、富裕層を保証できる保証人を探すのが大変でしょうから、不要は当然と言えば当然でしょう。邦人系銀行でも保証人不要は、決して目新しいウリとなる項目ではなくなってきているのがトレンドです。

金利は、以下のようになっています。
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この水準を他の住宅ローン取扱金融機関と比較してみますと、次のとおりです。
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HSBCの住宅ローン基準金利は、三菱東京UFJ銀行並みを期間によって多少優劣する水準で、ソニー銀行、新生銀行よりは劣後する水準です。HSBCでは預金連動型か否かによって、また担保の掛け目*によって金利のディスカウントがあります。その最良条件ものと他行の金利優遇措置適用後の水準を比較すると概ね0.5%-0.6%程度HSBCが劣後しており、ソニーなどとは1%近く劣後しているものもあります。金利面でのウリがあるとは言い難いようです。

このように見てくるとHSBCプレミアの住宅ローンの最大の特徴は、どうやら融資金額に上限なしという点と言えるでしょう。国内の住宅ローン取扱金融機関は、融資上限額が通常1億円まで。1億円以上を住宅ローン商品として品揃えしている数少ない先にGE Moey(GEコンシューマー・ファイナンス㈱)の「億さまプラン」があります。これは融資額の最大が2億円です。

1億円以上の住宅ローン需要は、サラリーマンにはほとんど縁がない世界と言えるでしょうが、滅多に調べる機会もないことなのでこの際両者の商品比較をしておきたいと思います。(次回に続きます。)

ということで、冒頭でふれた広告に掲載された3枚の写真は、どうやらHSBCプレミアがターゲットとする富裕顧客層の象徴的なシーンを打ち出したかったように思えます。


2008/8/20 水曜日 at 20:50:07
Posted by eiji in 雑記, その他

先日総務省からH20年度普通交付税の算定結果が公表されました。国が地方公共団体の財源の偏在を調整する財政制度の一つで、一般的な財政需要に対する普通交付税のほかに個別・緊急の財政需要(地震、台風との自然災害による被害など)に対する財源不足見合い額が交付される特別交付税があるのは周知のとおりです。この普通交付税の算定結果ですから、交付される団体(団体と呼ぶのはスッと入ってきませんが)もあれば交付されない団体もあります。全国には47都道府県1788市町村(4/1現在)がありますが、大半は交付団体。都道府県レベルの不交付団体は東京都と愛知県、市町村レベルでは、177市町村あり、不交付団体の市町村を持たない都道府県は石川県と山口県と公表されていました。軽井沢町はというと、長野県に81ある市町村のうち2つの不交付団体の一つです(もう一つは南相木村です)。昭和49年度から35年連続の不交付団体とYOMIURI ONLINEに掲載されていました。普通交付税の根拠法たる地方交付税法は昭和25年に制定されていますので、今年で58年経過します。そのうちの35年連続ですから、これはすごい記録です。凄いとは、軽井沢町の財政は健全かつ安定収入基盤に支えられいると言う意味で凄いのです。因みに、総務省に連続記録の最高はどこかを問い合わせてみましたが、時系列に見ていないのでお応えできないとの回答でした(本当かな?と思わなくないですが)。

不交付団体一覧は、こちらで見ることができます。それによると不交付団体に共通して言えることは、①企業城下町と言われるところであること(代表的にはトヨタ自動車関係市町村=愛知県およびその市町村、原子力発電所立地の電力会社関係市町村=北海道泊村、宮城県女川町ほか)、②立地地勢的に法人吸引魅力に富んでいること(一都三県の各市町等)、③人口吸引魅力に富んだ自然条件を満たしている市町村であること(軽井沢町、箱根町等)など、要は固定資産税並びに住民税(法人住民税)が安定的に得られる市町村が不交付団体として名を連ねているといえます。

軽井沢町が長年不交付団体であることの要因として、別荘が多くその固定資産税が寄与しているからが定説です。確かに別荘戸数14,203戸(H20/1月)に対して町民世帯数が8,247(H20/3)ですから別荘からの固定資産税は大きいと見られます。他に固定資産税が多額に上る要因としてゴルフ場、スキー場、ホテル、大規模集合商業施設等があり寄与していると見られます。

しかし、町の公式HPで最近3カ年(H18年度→H20年度)の予算内容を見ると町税収入6億円の増加の内訳は、固定資産税の増加+234百万円、町民税の増加+325百万円、都市計画税の増加+65百万円となっており、最近では固定資産税にかわって町民税が最大の増加要因です。これは軽井沢町人口の増加トレンドが継続しており、退職世代に限らず現役世代も流入している人口構造がもたらしている。更に、付け加えると退職世代層の所得も大きさが町民税増加を下支えしているものと推測されます。

少子化傾向が著しい我が国の中にあって人口漸増継続という現象(=軽井沢町の人口吸入魅力度の鮮度維持)がもたらす町財政への効果は大きく、今後ともこの傾向が続いていくのではないでしょうか。但し、人口増加→住宅増加→自然破壊に繋がることがないよう、環境意識を高く持ち知恵を働かせて軽井沢町の良好な自然環境を維持していきたいものです。


2008/8/18 月曜日 at 11:27:58
Posted by eiji in 雑記

軽井沢町は、東西12.5㎞、南北14㎞あります。追分は西端近くに位置し、最寄りの電車駅と言えばしなの鉄道の信濃追分駅です。先日歩きましたが35分程かかりました(腰痛でしたので、少しゆっくり歩きましたが)。3㎞前後と言ったところなのでしょうか?(新宿中井から3㎞前後歩くと新宿駅周辺に辿り着きます)。

ちょっと買い物といって一番近いコンビニは歩くと30分はかかります。中軽井沢、旧軽井沢の方に足を延ばしたければどうしても車となります。車は、環境面から、健康面から、何よりも経済面からカラダによくありません。もう少し行動半径を拡げる優しいギヤが欲しいと考えていました。

自転車がその有力候補であることは、早くから決まっていました。しかし軽井沢は南北移動は勿論のこと(浅間山の山裾が続きます)、東西への移動も結構きつそうな坂があります。電動自転車が有力候補にあがって半年以上が経ちました。でもどうも10万円もする電動自転車への抵抗と、まだ開発途上との印象を拭えず決めかねていました(バッテリーの耐用距離が20km程度であり、使い方によっては乗車途中で電気切れなどが考えられたのです)。

と言う訳で、このたびルイガノーSIX(ロッジの最寄りの道路は未舗装。これを考慮してマウンテンバイク風街乗り”SIX”にしました)を私の新兵器として購入。早速試乗してきましたが、なかなか快適。坂道も心配したほどではありません。心配は、後輪8段、チェーン3段、合計24変速を使いこなせるかです。
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2008/8/17 日曜日 at 11:42:18
Posted by eiji in 雑記

目覚めて外を見ると一面”キリ”。思わずシャッターを切ってみました。つい数日前にはこんな光景が見られたのですが。
窓は閉め切り。Tシャツの上に長袖+ソックス。”涼しい”を通り越して”肌寒い”追分です。
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2008/8/16 土曜日 at 7:21:37

ソニー銀行から住宅ローンの9月貸出に対する適用金利が公表されました。
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変動金利タイプと固定2年もの以外は、7月から3カ月連続の引き下げです(変動と固定2年についてはこちらも参照ください)。
参考となるスワップレートのこの一か月の推移は下図の通りですが、景気後退が指摘される状況になり、先行き金利は下げトレンド下にあるようです。
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2008/8/14 木曜日 at 6:56:44
Posted by eiji in 雑記

昨夜のドシャ降りから一転。今朝の追分ロッジには朝の陽光が差し込んで幻想的です。
大きく深呼吸をしました。
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2008/8/9 土曜日 at 8:29:13
Posted by eiji in 雑記

気象庁から浅間山の噴火警報が出されました。

火口周辺への立ち入り規制となるレベル2です。

最近では2004年9月1日の噴火が記憶に新しいところです。火山弾が飛散し、一部では山火事も発生したのです。

火山灰は北軽井沢、中之条、沼田、郡山などを経て太平洋岸の相馬市付近に達しました。1983年以来の規模だったものです。

大事に至らなければよいですね。

追記:最新の状況は、こちらで観ることができます(2008.8.13.)


2008/8/7 木曜日 at 21:49:54
Posted by eiji in 雑記

暦の上では立秋。でも外に出ると灼熱の太陽が容赦なく照りつけ、日陰を求めて歩いています。

今日、久しぶりに都心に出向きました。すれ違うネクタイ姿のサラリーマン諸氏に出会い、こんな暑い日までネクタイして(中には背広まで着用した姿を見て)なんとも”ごくろうさん”と気の毒に見えて仕方ありませんでした。

かく申す小生も去年の今頃は…..、と思うとゾッとしました。

先週は東日本で暴れた突然の夕立が、今週は西日本のほうでガンバっているようです。ご注意ください。
⇒追記:8月11日付日経新聞にこのような記事が掲載されていました。
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皆様。もう少し(?)の辛抱です。暑さに負けないようくれぐれもお体ご自愛ください。


2008/8/6 水曜日 at 8:16:43
Posted by eiji in 雑記, その他

NHK第一放送の朝のラジオ体操(今朝は亡き両親の故郷熊本県の山鹿市からの公開放送だった。小学校6年生の時の夏休みに一度だけ同市を訪れたことがある。)が終わった後の40分過ぎから「今朝のビジネス展望」と題する番組がある。ここ追分ではこれをベランダで聞くのが日課の一つになっている。今朝も肌寒かったが、コーヒーを飲みながら楽しんだ。第一放送というのだからテレビではなくラジオの番組の話である。追分にはテレビがない。情報収集はラジオとインターネットと新聞である。新聞は、8月のみ歩いて5分ほどの「なんでも屋さん」に行くと運が良ければ買えるがちょっと遅くなると売り切れで手に入らない。従って、専らラジオとインターネットということになる。今朝のビジネス展望は、「ミネラル野菜とケーブルテレビでトータルケアシステム」と題した福島県西会津町の健康な町づくりの取り組み事例を紹介していた。なかなか興味深い事例を紹介していた。話は一橋大学大学院教授の関満博氏。

小生この放送を40数年前の追分での合宿に想いを巡らせながら聞いていた。当時小生は大学2年、関君(失礼ながら君と呼ばせてもらう)は大学1年(3年と2年だったかもしれない。ちょっと自信が揺らぐ?!)。私の人生に最も影響を受けた恩人齋藤正教授を招いて追分文化村の大学の寮で有志十人ほど(いたなか?)で合宿ゼミ(注)を行った時の仲間だった。関君とはこの合宿ゼミを通しての付き合いだったが、進んだ道はそれぞれ異なり音信不通になっていた。

その後相当年経過して新聞紙上に関君の名前を見つけた時は、頑張ってきたんだと我が事のように興奮したことを覚えている。今朝も久々にラジオを通して話を聞いたが、当時の話し方と変わらなかった。嬉しいものである。

現場主義を標榜して研究者としての実績を築いてきた関教授。引き続きの活躍を期待しています。

(2008年8月21日追記)
(注)別件でフリー百科事典「Wikipedia」の成城大学を見ていたら、次の行がありました。

―90年代後半まで、「軽井沢セミナー」(略称「軽セミ」)と呼ばれるサークルのような自主ゼミが毎夏運営された。毎年、融資が執行部を組織し、ゼミ参加者を募る。1ゼミ10人前後で複数ゼミを作り、それぞれゼミで講師の先生(大学の教授、助教授、講師)に抗議を依頼して、夏休みに軽井沢にある成城大学の施設「白樺荘」で、合宿形式のゼミを行った。完全な学生の自主性によるゼミであり、学部の別も問わなかった。

ここまで紹介されていると小生の記憶(これも当てにならないが)と違う。このゼミを創始したのは我々が最初だったというのが私の記憶。サポートしてくださったのが齋藤正教授(のちに私の本ゼミの担当教授でもありましたが)。
知らなかったのはこのゼミが90年代後半までその後20年近く続いたことです(当然と言えば当然ですが)。

一度記憶を確かめておく必要がありそうです。