■晴天。暖かい日差しを受けて…..
前回来たとき膝まで積っていた雪はすっかり溶けました(2月13日付軽井沢日記に掲載した2枚の写真の右側に載せた分の本日版です)。
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チューリップの芽が出ていました。寒い軽井沢の冬を乗り越えてきたチュリップたちです。花開くのが楽しみです。
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■3月15日、土曜日。
SHOPエフスタイル軽井沢再開です。この2ヶ月間寒い軽井沢にお越しになられる方は少ないだろうと勝手に予測。ショップを冬季クローズしてきました。ご不便をおかけしました。
これからの毎週末11時から16時軽井沢ロッジオープンです。心からお待ちいたしております。
■4月26日、創業一周年を:-
迎えます。心ばかりですが、これに向けたイベントを計画中。ここでもお知らせの予定。新着商品も順次アナウンスして参ります。
これからもエフスタイル軽井沢をよろしく。
■増勢トレンド継続中
先日、この軽井澤日記に「長野県の人口と軽井沢」を書きました。長野県内での人口吸入力ナンバーワン都市が軽井沢町であると。県外からの流入者は、軽井沢のどこに流入してきているのでしょうか?
先日、町の選挙管理委員会から3月2日現在の投票区別登録者数が発表されました。http://www.town.karuizawa.nagano.jp/ctg/00206000/00206000.html。
■中心地域は中軽井沢地区
それによると投票区は23あります。軽井沢町は、7つの大字*と3つの区画整理に伴う町名変更**の10区分の名称と地番から成りたっており、これを更に住民の自発的組織である30の自治行政組織「区」***に区分しています。
*大字峠町、大字軽井沢、大字長倉、大字発地、大字追分、大字茂沢、大字草越
**軽井沢、軽井沢東、中軽井沢
***浅間台団地・追分・大日向・風越団地・上発地・借宿・旧軽井沢・小瀬・塩沢・塩壺・下発地・新軽井沢・杉瓜・千ケ滝中区・千ケ滝西区・つくしが丘・峠町・鳥井原・中軽井沢・成沢・ニュータウン・離山・古宿・星野・馬取・三ツ石・南ケ丘・南軽井沢・茂沢・油井
投票区は、23ですので頭が混乱しますが…….
それによると中軽井沢地区(第4+第23投票区)が3997人と全体15462人の25.8%を占めて最多です。軽井沢駅周辺は旧軽地区(第1+第2投票区)になり2640人(17.1%)と2番目に多い地区です。
追分地区はというと、どこまで含めるかに拠りますが追分(第11投票区)+三ツ石(第12投票区)で1264人です。
■増加のトップは追分地区
投票区毎の登録者数の増加を見ると全体で205人の増加のうち最多は第11投票区の追分+35人でした。昨年の増加数のトップを占めたのがやはり追分でした。この2年間で追分投票区の登録者数は789人から892人に+103人増えました。実際には、未登録者ながら実態的には登録者に近い人を何人か承知していますので、その数はもっと増えているのではないでしょうか?もっとも、この様な見方をすると他の地区でも当てはまることになるのでしょうが。
でも、軽井沢町の中でも追分の所在する軽井沢西地域に対する県外の人々からの熱い眼差しを感じざるを得ません。あまり混雑してくるのも考えものですがね。
■3月10日追記~大字草越について
町役場から返事をいただきました。
軽井沢町の大字は上記のように7つあると町役場発行の統計には記載されている。ところが町のHPを見ると大字草越がない。この違いは何か、問い合わせていたのです。
回答は、次の通りでした。土地の地番としての大字草越は存在するが、大字草越には現在建物はなく、住所地番(建物に対して表示される)として登録されているものはない。とのことでした。
軽井沢町も広いんだ!?と同時に、人口流入が偏っている?一度草越地区を歩いてみよう。
S君とのランチタイム。昨日渋谷で。前回は昨年11月御茶ノ水の山の上のホテルだった。お互い現役時代は、3ヵ月毎の金曜日夜に自由が丘のイタ飯屋が定番だった。さすがに最近は出不精になり、昼歓迎となった。私と軽井沢との出会いのルーツを辿ると、S君たちと始めたゼミがきっかけ。大学2年のときと記憶するので、丁度40年前のこと。向学心に燃え(?)自発的に結成したゼミ。親睦をかね集中的に勉強しようと集まったのが大学の軽井沢寮(追分文化村の一角)だった。(注)
S君は、大手百貨店を定年退職。悠々自適の生活を満喫している。スポーツクラブで健康保持に努める一方、好きな演劇・歌舞伎鑑賞、奥さんとの温泉めぐりなど多忙な毎日のようだ。
一年前からカルチャー教室に通い古文に取り組んでいる。昨日も午前中勉強してきたといってテキストを見せてくれたが、小生には一番苦手なところ。残念ながら小生の関心度は今ひとつ盛り上がらず。
次回は、想い出の軽井沢でランチタイムといきたい。
(2008年8月21日追記)
(注)別件でフリー百科事典「Wikipedia」から成城大学を見ていましたら次の行が掲載されていました。
―90年代後半まで「軽井沢セミナー」(軽セミ)」と呼ばれるサークルのような自主ゼミが毎夏運営されていた。毎年、有志が執行部を組織し、ゼミ参加者を募る。1ゼミ10人前後で複数ゼミを作り、それぞれのゼミで講師の先生(大学の教授、助教授、講師)に講義を依頼して、夏休みに軽井沢にある成城大学の施設「白樺荘」で合宿形式のゼミを行った。完全な学生の自主性によるゼミであり、学部の別も問わなかった。
ここまで紹介されると小生の記憶と少し異なり「そうだったかな?」と自信がなくなるが、このゼミを創始したのは我々だった、というのが私の記憶であったが。上記によれば20年近く続いたようだ(これは知らなかった)。機会があれば記憶違いを修正しておきたいと思う。
蛇足気味だが、ゼミの開催場所となった白樺荘だが最近行ってみた。門にはロープが張られ使用されていないように見受けられた。寂しくも時の流れを感じた。

