群馬県内で住宅ローンを借りる場合、どの銀行の住宅ローン金利が一番低いかを調査しているものの2010年6月版である。全国の全金融機関の住宅ローン商品の金利事情を調査している金利検索結果は、既にこちらで報告済みである。

前5月と比較して注目すべき大きな変動は見当たらない。変動金利型2位は、みずほ銀行が新たに名前を連ねた。固定期間3年ものの3位は、高崎信金が利率を1.200%にしたことで2位→3位になった。5年もの1位は、住信SBIネット銀行とアイオー信金が新たに加わったものである。
前月から顔を出し始めた日本生命だが長期金利の低落を反映して適用利率を引き下げたためそれぞれ引き下げ後の金利も下がり、順位に変動はなかった。但し、H22年6月16日までに事前審査申し込み、かつH22年6月16日までに借り入れる場合だから要注意だ。7月以降に続くのかどうか気になるところである。
ネットバンクの草分け的存在で私が大いに関心を寄せている銀行の一つソニー銀行がネット限定主義から一歩踏み出すビジネスモデルを取り始めます。詳しくは、こちらを参照ください。
今後の端緒になるのかどうかはプラザの成否にかかっているのでしょうが、要注目です。
借り入れる方から見ると、取引の相手方の顔が見えないのは良し悪しで、プラザ開設の遠因にもなっているのでしょうか。
6月の信託銀行4行の住宅ローン金利は、下表のとおりです。

三菱UFJ信託のみ据え置き、他の3行は固定期間5年もの以上引き下げとなりました。引き下げ幅は、-0.050%~-0.150%迄となりました。三菱UFJ信託は、据え置いたといっても20年ものなどは他より低い水準にあります。
各行の引き下げプランを反映した後の適用金利は、次の通りです。

ネット銀2行は、住信SBIネット銀が10年固定ものを除いて全て据え置いたのに対し、ソニー銀は全て引き下げられました。

引き下げプランを反映した後の適用金利ベースは、次の通りです。

6月の都銀4行の住宅ローン金利は、下表の様に発表されました。

ポイントは、次の3点です。
①変動金利と固定期間3年ものまでは5月水準に据え置き、5年もの以上が一部を除いてー0.050%引き下げられました。
②引き下げは、5年と7年ものは4行とも引き下げ、10年もの以上はりそなを除く3行が引き下げられました。
③この結果、据え置きとhした変動金利と固定期間2年~7年までの金利水準は、4行横並び同水準となりました。
これを受けて各行の引き下げプラン反映後の適用金利水準は、以下の通りです。

前5月の改定時は、みずほのみ10年以上をー0.050%引き下げただけで、他の3行は据え置きだった。その時と比較すると、今月は引き下げに各行の足並みを揃えたと言えなくはない。以下に見るように、長期金利の月間変動幅は、-0.020%と狭かったのを受けてのことを考え合わせると、である。
引き下げの背景となった長期金利の動向は、下図のような軌跡を辿った一ヶ月間である。

一カ月を通して見ると、5月6日1.270%でスタートし、11日に1.315%まで上げた後は、多少の上下を繰り返し、25日に1.190%まで下げた後、結果前月末比-0.020%の僅かなさげになった5月であった。
長期金利がー0.020%の下げにも拘わらず、都銀各行は5年もの以上をー0.050%の下げをした。いわば基準金利の下げ以上だが、これは金融経済状況全体を眺めた時の大きな流れと先行きを読んだ上での”調整”という経営の恣意性を含んだんものと見ている。この”逆調整”はどこかの場面で必ず行われるものと考えておくべきであり、この意味において住宅ローンを借り入れるタイミングで運・不運は、常に付きまとうものと考えておかなければならないと考える。
また、変動金利と固定期間3年ものまで据え置いた背景を考えておきたい。下表は、スワップレートの推移を見たものである。

SW1年~4年ものまでは、この一ヶ月間で+0.002%(4年もの)~+0.115%(2年もの)上昇したのに対し、SW5年もの以上は下落している。これを反映してのことと見て差支えないと考えている。
私の履歴書・有馬稲子(敬称略)について触れるのが3回目になろうとは、予期せぬ出来事だ。余りにも読者の反応度が高いことに驚いている。人間、考えること、感じることに大差ないということだろうか。そんな気持ちになるくらい軽井澤日記4月16日付け「私の履歴書・有馬稲子」をクリックしていらっしゃると見られるのだ。
私は、毎朝の定例動作の一つに前日の弊社サイトへの訪問者数を見ている。その本当の姿は、実のところ正確に把握できているわけではない。私の理解力が伴っていないことが原因なのだが。その前提に立ってチェックしていても、明確に分かることがある。訪問者の来訪回数、何をご覧になったか、何をに直接アクセスしたか、そうでないのか等だ。
私の履歴書・有馬稲子で来訪されていらっしゃる方が実に多い。認知度が低い弊社サイト(何とかしないととは思っているのだが)なので、その数が際立つのだ。日経読者の関心度の高さ以外の何物ではないと思う。毎朝、日経新聞の同欄を読んだ後の余韻を確かめるように(?)、又は共感を共有したい(?)、との思いなのかは分からないが。とにかく超ビックリだ。
今朝の私の履歴書・有馬稲子は、22回目。残りも少なくなってきたが、ますます面白い。今朝の「『おりん』旅公演・客席と舞台がひとつに 鳴りやまぬ拍手に感動」は、読み進むうちにジーーンときた。有馬稲子さんの筆力にも感心しながら読ませていただいている。おりんの公演があるなら是非とも見たいものだ。
今年もクリスマスローズが咲きました。雪にもメゲズ。頑張った姿は、なんとも愛おしい。撫でてあげたい気分です。

今朝一時間ほど追分周辺を散策。やっと梅が咲きが始めたところです。
最高の来訪者数。昨日の私のホームページへのアクセス数がである。
毎朝作業の一つに前日のホームページ来店者数のチェックがある。相変わらず少ない。何とか上向かせたい、との思いはズッとある。それがこのところ見るのが楽しみ、と思われるようにわずかだが上向きなのだ(理由は分からない)。
今朝見ると、驚きの訪問者数。何があったの?思わず自問自答。
さらに、調べた。昼前の時間帯からアクセスが目立って増えた。しかも軽井澤日記2010年4月16日掲載へのアクセス、がである。
私の履歴書・有馬稲子ーへのアクセスだ。感じ方はいろいろ。読み方もいろいろ。関心の所在もいろいろ。どうしてアクセスされたのか、私には分からない。
日経新聞を読み、私の履歴書を読む。それで終わらない感情が湧きあがる。余韻を確かめたい、と思っておられるのだろうか。そんな人がいらっしゃるのを、私は感じる。少なくとも、私はそう感じて、昨日のブログを書いた。
女優・有馬稲子の筆力、にはそんな力感がある。
日経新聞最終ページ文化面、中でも「私の履歴書」は、毎朝の楽しみの一つである。功なり名なりを遂げた方々が語り部となって、自らの人生を振り返る。真実を語り後世に残す。本人にしか語れない知られざる一面も語られる。小生の愛読欄だ(同欄の題字はご本人によるもの。別の「素」が見れるので面白い)。迫力満点な履歴書は、興味が尽きない。
今月は、女優・有馬稲子さんが執筆担当。今朝は、以下の書き出しで始まる(「」内日経新聞2010年4月16日36面から引用)。
「少し昔の恋を書きすぎたかもしれない。監督は2年前に亡くなり、告別式で岸恵子さんが捧げた弔辞は素晴らしいものだったと人から聞いた。日本映画を代表する名作を数々作り出した監督であることは間違いないことだ。そのことと私に対する限りない不誠実さは、関係ない。私が困っているときに助けてはくれなかった。私を裏切り続けて謝罪のひと言もなかった。」
さらにこう続く。「時がたてば許す気になるかと 思っていたが、今もってそうならないのはなぜだろう。私は頑固すぎるのか。」
女優・有馬稲子にここまで書かせた監督とは?「2年前に亡くなられた日本映画を代表する映画監督」なのだから「市川昆」さんだ(ご両人に関する情報に精通している方なら先刻承知済みのことだったようだが)。
有馬さん自身「書きすぎた」と認めている。彼女にそこまで言わせたのは。そこまで書かざるを得なかったのは。どうしてもそう思ってしまう。その「なに」を、有馬さんは、4月13日付け同欄でこのように書き出し、振り返り始めた。
「あなたの芝居で人生が変わったと言われた時は、女優でよかったと思う。以下しばらく私の人生を変えた人たちについて書いてみたい。」
最初に取り上げた彼女の人生を変えた人は、「森本薫の戯曲『華々しき一族』を原作にした映画監督と初めて出会った。指の美しい人だった。(中略)21歳の私の心が騒いだ。」以下は、同日のタイトル「燃え上がる17歳差の恋 一流の映画や美術教わる」が示している。
次に取り上げたのが俳優で夫となる中村錦之助さんだ。14日付のタイトルが「共演10日目で結婚話 監督とは袋小路、ゆれる心」からでも分かる。ここでの錦之助さんは、あくまでも脇役でしかない。監督とのことは未だ語り終わらない。15日付けでは、「不誠実な監督に落胆 悲しい思い出よみがえり涙」とのタイトルが付けられた。
「恋愛でもっとも大切なことは男性の誠実さだということは、時代が変わっても同じなのではないだろうか。」で始まる。「かつて間違いなく私の体の中にいて、ついに愛情に祝福されることがなかった子供のことを思い出して涙が止まらなくなった。」で終わる。
書きすぎたかもしれない昔日の恋。有馬さんの心は、未だ許せないでいる。鬼籍に入るまでご一緒するつもりだろうか。怨念とはそういうものだろうか。
有馬さんが気の毒でならない。一度しかない人生だから。
否、大女優に向かってとんだ失礼なこと申し上げました。明日からの「あなたの履歴書」欠かさず読ませていただきます。楽しみです。
日経新聞月曜日5面オピニオンページの「インタビュー領空侵犯」が好きだ。共感できる発言に出合うと思わず切り抜いてストックしている。以前にもここで取り上げている。
本日付同欄は、片山善博さん。キャリア官僚→鳥取県知事→慶応義塾大学教授の経歴の持ち主。ご存じ方(TVなどで見たことがある)は多いのではないかと思う。最近では、鳩山政権の目玉政策の一つである国家戦略室に「予算編成のあり方検討委員会」を設置する方針があるが、そのメンバーの一人に民間からの起用(純粋民間人ではないが)という趣旨もあってか同氏が起用されるとの報道がなされているが。
毎週楽しみにしているこのインタビュー領空侵犯だが、久しぶりに共感でき(私の気持ちを)代弁して頂いた、との印象を強く持ったので、少々長くなるが記事をそのまま引用させて頂きたいと思う。
―鳩山内閣は事務次官会議を廃止しましたが、事務次官ポストそのものをなくせと主張しているそうですね。
「今までの大臣は省庁のトップではありませんでした。事務次官が実質的な責任を取っていて、OBになっても影響力を行使しています。大臣などの政治家が責任をとり、幹部職員の人事もやるようになれば、官僚組織の頂点である事務次官はいりません」
「人事もやりやすくなります。今は基本的に局長以下の職員は次官よりも年次が下でなければいけない。優秀な局長でも長くやれなくて、次官が代わると辞めなければならない。事務次官というポストがあるから年功序列の硬直的な人事になるのです」
―「官僚たちの夏」ではありませんが、入省すると次官を目指して出世競争するのが霞が関のようですが。
「局長を目指せばいいじゃないですか。税や国際金融等専門分野でそれぞれトップになればいい。現在の富士山型の組織を連峰型に変えるのです。出世するだけが人生ではないし、その方が職員も幸せだと思います。そして、本当に役所のトップになりたいなら政治家になって大臣を目指せばいい。優秀な人なら政治任用で副大臣や政務官になれるかもしれません」
「今の事務次官は省庁の権益の守護者にすぎません。国民の利益に反することばかりしている。他の幹部職員も専門知識など持っていません。得意なのは根回しと場つなぎぐらいではないですか」
―ピラミッド型組織を改めれば天下りもいらない。
「優秀な人は定年まで勤めてもいいし、大学で研究者になってもいい。ただし、ピラミッド型なので途中で肩たたきをしなければならず、受け皿として天下りが必要だ、とう省庁の言い分は半分うそです。次官が一番楽なおいしいポストに天下っているのです」
「そもそも、天下り先を作ったとか、省庁の権益を増やしたかどうかで評価するのがおかしい。これは税金の無駄遣いだ、などど言ったらその職員にはバツがつきます。上司がそうだから若い職員も同じ発想になる」
―病根は深そうです。
「大臣が幹部人事を直接やるようになればすぐに変わります。ただし、国民のためになる組織にするには採用面も考えないといけません。国家公務員は未だに成績至上主義です。今の職員は社会正義や弱い立場の人への思いやりに欠けている。志や正義感、気迫などにあふれた若い人をもっと採用してほしいと思います」
インタビューの聞き手谷編集委員は:-
民間はもちろん、自治体と比べても中央省庁という組織は確かに硬直的だ。その原因の一端は大臣をタライ回しする政治の側にあった。政治が変わろうとしているのだから省庁も変わる好機だろう。エリート意識と一体となった過剰な責任感を見直すことが第一歩になる。「省益」という言葉ほどむなしいものはない。
と欄外で触れています。
中央省庁に代表される官の世界については、インタビューの中で相当触れていいただいている。民の世界は問題ないのかというと、決して無縁ではないというのが私の見立てです。昨今世間を騒がせている企業群はもちろん、表面化してはいない民でも同様の病根を抱えているのではないか、私はそう思って社会を見ています。
50年も続く哲学堂公園での朝のラジオ体操に初めて参加してきました。
コミュニティ誌「おちあい」で知った毎朝6時半から同公園広場で行われているのです。新宿区はもちろんのこと中野区や豊島区からも参加しているそうです。参加者数はザッと百名は超えます。見た感じ私が一番若い層の一人で、圧倒的に人生経験豊かな年齢層の方々中心です。
朝型人間の私は、軽井沢ではラジオ体操を日課にしています。新宿では控えていましたが、今回ラジオ体操が加わったことで朝の過ごし方メニューが増えました。
ラジオ体操から連想することと言えば・・・・?
私は、子供時代の夏休みです。ラジオ体操カードを首からぶら下げて、毎朝子供会のラジオ体操に参加したことが想い出されます。終わるとカードに参加した印を貰って、たまるのを楽しんだものです。
ところで、ラジオ体操っていつから始まったかご存知ですか?
昨年11月1日に開始80周年を迎えたのですから、1928年11月放送開始というわけです。それから遡ること3年前、1925年アメリカのメトロポリタン生命保険会社が健康増進・衛生思想の啓蒙を図る目的で考案した体操がベースになっているようです。保険事業視察に行った当時の逓信省(郵政省→現総務省)簡易保険局担当者がこれを知り、日本でも始めようと提案したことが始まりとあります(Wikipedia)。
途中、中断時期があったり、体操も変遷したり(現在は3代目)、と歴史を経て現在の形になったのは1951年からです。私がラジオ体操を始めた時は、既に3代目になっていたのです。
今までは何気なくやっていたラジオ体操ですが、これからは歴史を感じつつ生活のリズム感を保つべく続けていこうと思います。

