11月21日付日経新聞経済教室「金融危機で問われる企業倫理 ROE偏重から脱却急げ 麗澤大学高巌教授」(以下高論文)を読んだ。興味深く示唆に富んだ内容は、とりわけ住宅ローン業務のみならず与信業務に携わる関係者に関心を持って真摯に耳を傾けてほしいと強く思います。それは実体経済に深刻な影響を及ぼすまでに発展した今次米国発金融危機の根本原因は何だったのか。企業倫理の視点から過ちを繰り返さないために、冷静にアプローチして原因分析したものである。高論文は、分析結果として「三つの方便」―それらは一見合理的だが、結局は(自分に都合がいいように詭弁を弄した)へりくつがまかり通った点にあったと述べています。
方便の一つ目は自己資本利益率(ROE)重視の経営であり、二つ目は資産金融の証券化、三つ目は内部統制の徹底である。これらは今次金融危機の発火点である米国固有のものではなく、我が国金融システムの中で活動する官民・内外金融機関たちにも共通の関心事項と言えるものであり、危機の連鎖は確実に及んできて不可避なものと見ておくべきです。
この視点から特に資産金融の証券化の前提となる住宅ローン債権の形成過程について見ておきたい。かつての銀行ビジネス行動の中での住宅ローン融資ビヘイビアは、オンバランスシートが大前提でした。融資実行した後はローン債権を自社で保有(自社のB/Sにむこう数十年にわたって経常=on B/S)し続けるため、融資の可否判断は債務者調査は多角的に節度を持って非常に慎重になされた。少なくとも(与信力が劣るとみられる)低所得者への融資には一定の範囲でしか応じないというのが常識でした。
高論文は、資産金融の証券化は以下の5つの要素が慎重な融資審査と与信判断から目を反らさせたと指摘しています。
①ローン利用者の信用をスコア化し、機械的に融資限度額などを計算した(数値依存型の審査方式は、審査担当者から債務者を見ることと考えることを放棄させた。スコアさえ基準をクリアしていれば可という責任放棄的文化の醸成に繋がりはしなかったのかとの危惧の念を拭い切れないのです。そもそもスコアを考え出したのは機械ではなく人間であることを忘れてはいけないのです)。
②大量の住宅ローンを購入する特別目的会社を作り、銀行が破綻しても、特別目的会社には影響が及ばないようにした(これを倒産隔離と高論文。仕組み的には可能と考えられても、前提が崩れた場合の影響までは考えられなかったようです)。
③住宅ローンを元に組成された証券化商品を、優先的に元利払いを受ける商品、劣後する商品などに分け、商品性を高めた(住宅価格の継続的な上昇が大前提の考え方であり、サブプライムローンは契約が続く限りサブプライムローンに変わりはないのです)。
④多様な地域や様々な種類の債券を寄せ集め、リスク分散を図った(寄せ集めることがリスク分散につながる魔法の仕組みのような錯覚にさせたのかもしれませんが、住宅ローン債権のリスク度は借入人のリスク度でもあり、それは返済能力が改善向上しない限り(収入が増加しない限り)、債権の貸倒リスクが低くなることはありません)。
⑤延滞率などの過去のデータに基づいて証券化商品の格付けを行った(データ収集機関は住宅価格上昇期だった訳で、へりくつが通りやすい環境要素があり仕組みに関わった当事者のロジック構築に味方したと考えられます)。
このように総じて、「MBSやCDOの原資産は、劣悪な住宅ローンが含まれている」や「MBSやCDOの価値は住宅価格の上昇が続く場合に限り維持される」という大前提の上に成り立っていたロジックとスキームは、手っ取り早くレバレッジを効かせて多くの利益を求めようとした投資家達には本当のリスクの所在はほとんど伝わらなかった(伝えようとしたかどうかはわかりません)と言えるでしょう。
これは単に米国だけの問題かいうとそうではありません。冒頭指摘したように我が国の住宅金融を巡る世界にも無縁ではない問題との認識が必要と考えます。
最近TVコマーシャルまで始めたフラット35。2007年4月に戦後わが国の住宅政策の実働部隊であった住宅金融公庫が独立行政法人化した中での新・住宅金融公庫(=現住宅金融支援機構。以下機構。)の中核業務が証券化業務でありそれを支えているのがフラット35です。民間金融機関が融資した住宅ローン債権を機構が買い取り証券化して市場に売却するビジネスモデルであります。その前提となる住宅ローン債権がフラット35と命名された長期固定金利型住宅ローンなのです。このスキームは取りも直さず米国発がモデルとなったのであります。
高論文が指摘する原資産に劣悪な住宅ローンは含まれていないか、不動産化上昇継続を前提にしていないかの観点で一度見直してみる必要はありそうです。住宅ローン貸出を決定するのは機械ではなく人間です。その人間は金融機関という組織の中の一人です。組織は時として成果主義(数字至上主義なる優先的評価軸の横行といったら言い過ぎでしょうか)に走りがちです。本来なら自ずと節度が求められるのですが、現実には逆に数字を出したいがゆえに、この一件くらいは大丈夫と勝手な屁理屈を考え出して少々のことには目をそらしてしまっていないか。金融業務に従事する当事者には高い倫理観が求められています。
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