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軽井沢日記TOP » 町誌に見る軽井沢別荘史 » 町誌に見る・軽井沢別荘史⑧ 星野温泉と別荘
2008/10/27 月曜日 at 9:09:16

 明治37年(1904)から沓掛の北方浅間山に向かって湯川の上流2㎞の地点で、水車を利用して製材工場を営んでいた星野国次(初代嘉助)は、明治43年(1910)の大水害を契機として、赤岩鉱泉・塩坪の湯を荻原寛治より買い取って営業を始めた。
 彼は明治から大正に入って、軽井沢がようやく避暑地として内外の注目を集め始めたのをみて、温泉開発に着手した。大正2年神社風の浴場を建てるとともに、星野温泉と名を改めた。熱い温泉を求めて、塩坪を中心に上総掘りという手掘りから、ロービング式掘さく機まで使って掘り、3年の春、浴場の完成に続いて旅館営業を開始した。

 大正5年(1916)には池の端別館のほか、二号、五号別荘、7年にも七・八・十号と三つの別荘を建て、別荘と温泉を組み合わせた経営を行った。
 この間、大正4年には鎌倉から円覚寺管長長釈宗演禅師を招き、同6年には天狗タバコの創始者、岩谷松平が一族郎党を引き連れて避暑がてら一夏をすごすなどにぎわいをみせはじめた。
 大正9年(1920)の夏、にせ赤い鳥事件が縁となって、鈴木三重吉が家族と共に星野温泉を訪れた。翌10年8月、「赤い鳥」が呼びかけ、全国から140名を集めて「芸術自由教育講習会」が盛大に開かれた。講師として、我が国の農民美術運動の創始者山本鼎(大正7年にアトリエ建設)をはじめ、鈴木三重吉・北原白秋・沖野岩三郎などに恩を代表する作家のほか、宗教家であり学者でもある内村鑑三の課外講演会も行われた。この講習会は教育界に大きな影響を与えたばかりでなく、そのころから与謝野寛・晶子夫妻、若山牧水・喜志子夫妻など多くの作家、詩人が訪れるようになり、星野温泉周辺の別荘地化が進むことになった。

 星野温泉の前身である赤岩鉱泉は、アルカリ性の温泉で古くから草津温泉の強酸性の湯治でただれた皮膚をなおすために親しまれていたが、星野嘉助によって新しく温泉としてよみがえり、その周辺一帯は新しい別荘地となっていった。大正以後の別荘地の大部分が長野県外の資本によって開発されていった中で、星野別荘地は佐久の製糸資本が投入されて開発されたことは注目に値する。


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