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軽井沢日記TOP » 町誌に見る軽井沢別荘史 » 町誌に見る・軽井沢別荘史⑦ー2千ヶ滝と南軽井沢別荘開発
2008/10/24 金曜日 at 13:22:44

 大正9年3月、堤康次郎によって箱根土地株式会社(資本金2千万円)が設立され、軽井沢は出張所となった。同社は、千ヶ滝ばかりでなく箱根方面に大きく進出することになった。軽井沢の北、群馬県万座の温泉・湯の花・硫黄の採取権を取得し、軽井沢まで温泉を引こうとした。この計画は実現しなかったが、万座温泉への途中にある天明3年に流出した鬼押出しの奇岩に着目し、前橋営林署へ天然物を保護する意味の申請書を出し、六里ヶ原一帯を買収した。
 千ヶ滝地帯には、夏になると大型の巡回バスを運行して別荘客の便を図った。
 大正10年に入ると、千ヶ滝に観翠楼を建築して営業を始め、湯川発電所の電気が別荘地に点灯されるなど整備された。千ヶ滝から峰の茶屋までの道路も開通した。
 箱根土地株式会社は、軽井沢南部の発地の区有地421町歩の買収を行い(大平地区100町歩は返還)、分譲地造成を進め、12年には、南軽井沢で土地付き別荘の分譲を始めた。古くから地蔵ヶ原と呼ばれ、碓氷峠を越えるための女街道を通るだけの草原と湿地ばかりの土地に開発がおこなわれることになった。広大な土地を利用して、南軽井沢競馬場の建設に続いて、大正14年には南軽井沢飛行場が完成するなど南軽井沢一帯は大変貌を始めた。
 大正12年、千ヶ滝地区上部の見晴らしの良い土地に、木造3階建て(建坪550坪)の近代的な軽井沢グリーンホテルが営業を開始、千ヶ滝事務所から四間道路を開さくした。別荘地の周辺部には、100坪の土地にかやぶきの別荘をたて、500円という低価で分譲を始めた。翌13年には、天然氷の採氷も始めた。また千ヶ滝学院を開設し、沖野岩三郎を園長に迎えて、別荘に滞在する子弟に勉学をすすめ、各種の教育を行った。
 道路建設・バスの運行・電気・水道施設・マーケット・共同浴場と秘書生活に必要な条件が整うと、旧軽井沢周辺の外国人によって開発された別荘地帯とは異なった、新しい階層のための別荘地が軽井沢町全域に広がるようになった。


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