Posted by eiji in 町誌に見る軽井沢別荘史
明治26年(1892)日本人として初めての別荘が、海軍大佐八田裕二郎のよって建てられた。八田は、東伏見宮の随行員としてイギリス・フランスに旅行し、二十二年に帰朝したが、健康を害していた。ヨーロッパのアルプスでの高原療養を見聞していた彼は、北海道、日光、箱根にと空気の清涼な土地を求めたが、地形の広さ、湿度、交通上などの条件を満たさなかった。
火山灰に被われた標高一〇〇〇メートル近い軽井沢の清涼で湿度の低い空気と、南に開かれた地形や乾燥の早い土地は、オゾンが多く彼の健康を増進させた。軽い草履にステッキという姿で、散歩をするのに適した草原が広がっていた。八田は、モンブランにも勝る避暑地と思って、旧軽井沢の西南の端に別荘を建てた。軽井沢で健康を取り戻した彼は、日本赤十字病院長の橋本綱常やドクトル・ベルツとともに、夏の転地療養に高原の軽井沢へ別荘を建てることをすすめた。外国人ばかりでなく末松謙澄・三井三郎助・樋上専次郎・江木衷・佐々木政吉らが明治三一、二年ころ別荘を建てることになった。
また、八田裕二郎は学習院の学生をつるや旅館(新軽井沢)に宿泊させ、健康の増進をはかるとともに、多くの外国人と接して修養の機会とさせた。これらの学生の中には、徳川慶久のように後に別荘を建てた人が多かったといわれ、日本の上流社会に別荘建築が行われる契機となっていった。
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